東京高等裁判所 昭和39年(う)1576号 判決 1965年1月29日
被告人 李貞江
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人牧野内武人、同松山正、同平田亮共同作成の控訴趣意書に記載されたとおり(ただし、「第四」とあるのを「第三」と訂正する)であるから、これを引用し、これに対して次のように判断する。
控訴趣意第一の一の(1)について。
論旨は、外国人登録法第一八条第七号が登録証明書の不携帯に対し一年以下の懲役もしくは禁錮または三万円以下の罰金に処することを定め、なお同条第二項が懲役または禁錮と罰金とを併科することができると規定したのは、残虐な刑罰を規定したもので、日本国憲法第三六条に違反するというのである。そこで考えてみるのに、外国人登録法は、本邦に在留する外国人の居住関係および身分関係を明瞭たらしめもつてその公正な管理に資するためこれに対して登録申請の義務を課し、かつその登録の事実を確認する必要上その第一三条において登録証明書の携帯および呈示を義務づけ、その義務違反に対して刑罰を科することと定めているのであるが、このように刑罰を以て臨んだことは、その義務の遵守を確保するためにも必要と考えられるところで、なんら違憲不当と目すべきものではない。戸籍法および住民登録法が届出等を怠つた者に対し刑罰でなく過料を科しているにすぎないことは所論のとおりであるが、もともとこの種の義務の違反だからといつてその性質上刑罰を科することができないわけのものではなく、これに対して刑罰をもつて臨むか、過料を科するに止めるか、あるいはなんら国家的な制裁を設けることなく自発的な遵守に期待するかは、その遵守の見込その他諸般の事情を考慮して定める立法政策の問題で、戸籍法および住民登録法が刑罰を規定していないからといつて、外国人登録法が刑罰を定めていることを違憲だということはできない。次に、原判決が適用している同法第一八条第一項第七号および同条第二項の罰則について考えてみると、それによつて科せられる最も重い刑は懲役一年および罰金三万円の併科であるが、違反の情のきわめて重い場合にはかような刑罰を科しても一概に重すぎるとはいえないと考えられるし、情の軽い場合には一、〇〇〇円の罰金さらには酌量減軽のうえ五〇〇円の罰金に処することもできるのであるから、右の法定刑そのものが違反者に対し不当に苛酷だとは到底いえない。ましてや本件では、原判決は被告人を罰金二、〇〇〇円に処しその刑の執行を猶予しているのであるから、その刑が異常に重すぎるというようなものでないことは明らかである。したがつて、いずれの点からしても、日本国憲法第三六条の違反を主張する論旨は採用するわけにはいかない。
同第一の一の(2)について。
論旨は、外国人登録法第一八条第一項第七号の罰則は、犯罪と均衡を失した重い刑罰を規定したもので、罪刑法定主義の原則に反し、したがつて日本国憲法第三一条に違反するというのである。そこで、右の罰則の内容と論旨の指摘する出入国管理令第七六条および道路交通法第一二一条第一項第一〇号の罰則の内容を比較してみると、旅券または仮上陸許可書などの不携帯に対する法定刑は一万円以下の罰金であり、自動車等の免許証の不携帯に対する法定刑は一万円以下の罰金または科料であるのに対し、外国人登録証明書の不携帯を処罰することを定めた外国人登録法第一八条第一項第七号の法定刑は一年以下の懲役もしくは禁錮または三万円以下の罰金であり、しかも同条第二項によると懲役または禁錮と罰金とを併科することとなつていて、かなり重いことは認めざるをえないところである。そして、このように処罰上の差異を設けるについて実質的な理由があるかどうかは必ずしも明瞭でなく、もし相当な理由なしにかような差異が設けられているとすれば国の立法としては好ましくない形だといわなければならないが、反面そのことから直ちに外国人登録法の前記罰条の法定刑がその違反に不相当な重い刑だと論断してしまうことはできない筋合いで、前に述べたように情状によつてはその法定刑の最上限の刑を科しても一慨に重すぎるとはいえない場合も考えられるし、また情状によつては軽い罰金に処することもできるのであるから、少なくともそこに憲法に違反するようなはなはだしい罪刑の不均衡があるとまではいうわけにはいかない。また、論旨は、外国人登録法の右の罰条は犯罪構成要件の定め方が明確を欠くから罪刑法定主義に反し日本国憲法第三一条に違反するとも主張するが、この論旨の理由のないことは、後記の控訴趣意第一の二に対する判断の中で述べるとおりである。いずれにしても論旨は理由がないといわざるをえない。
同第一の一の(3)について。
論旨は、外国人登録法第一三条第一項・第一八条第一項第七号は日本国憲法第一四条に違反するというのであるが、外国人登録法第一三条第一項が在留外国人に対して日本人には要求していない登録証明書の携帯を義務づけ、かつその違反を同法第一八条第一項第七号によつて処罰することとしているからといつて日本国憲法第一四条に違反するといえないことは、昭和三四年七月二四日最高裁判所第二小法廷判決(刑集一三券八号一二一二頁)の説示しているところによつて明らかであつて、そのことは、この法律の適用を受ける者の大部分が所論のように在日朝鮮人であるかどうかということとは関係がないのである。論旨の後段は、本件の違反発覚に際しての捜査官の行動を非難するものであるが、記録を精査してみてもそのことが本件公訴の提起を違法ならしめ、または原裁判所の取り調べた証拠の証拠能力を失わせる原因になつているとは考えられない。一件記録によると、本件の違反行為は過失によるもので、被告人は平素はつねに登録証明書を携帯しており、この日に限つて携帯するのを忘れたところをたまたま警察官に発見されたものであることが認められるのであるから、これに対しては将来を戒め注意を促す程度で足り、あえて公訴を提起して刑事上の処罰を求めるまでのことはなかつたとも考えられないではないが、裁判所としては公訴の提起がありかつ違反の事実が認められる以上、現行法のもとではこれを不問に付することは許されないのである。これを要するにこの論旨もまた採用することができない。
同第一の二について。
論旨は、被告人が登録証明書を携帯しなかつた場所である茨城県竜ヶ崎市根町所在の朝鮮民族学級は被告人が勤務場所として一日の大半を過ごす場所であるから生活の本拠地であり、このような場所で登録証明書を携帯していなくても外国人登録法第一三条第一項の違反にはならないと主張する。しかしながら同項が「つねにこれを携帯していなければならない」と規定しているところからみれば、生活の本拠地にいる場合だからといつてこれを携帯していないでもよいというものではなく、ただ、法がその携帯を義務づけているのは、外国人登録証明書が身元を証明するためのもので、同条第二項所定の権限ある職員から呈示を求められた場合にはすぐにこれを呈示することができるようにするためであるから、自宅にいる場合登録証明書がすぐに取り出せる場所においてあれば必ずしもはだ身につけているまでの必要はない、というだけのことである。すなわち、問題はその者が生活の本拠地にいたかどうかではなく、登録証明書を携帯しているといえる状態にあるかどうかだといわなければならない。ところが、本件では、被告人は登録証明書を茨城県土浦市の自宅に置き忘れてきたもので、自分は同県竜ヶ崎市にいたのであるから、その呈示を求められてもすぐに呈示することができない状態にあつたことは明らかで、これを携帯していたといえないことはもちろんである。それゆえ、原判決が被告人の所為を携帯義務の違反だとしたのは正当であつて、この点の論旨も理由がない。
同第一の三について
論旨は、外国人登録法第一八条第一項第七号は故意犯のみを罰する規定で、本件のような過失犯は含まないと主張する。なるほど、右の規定についても適用のある刑法第三八条第一項は「法律ニ特別ノ規定アル場合」のほか故意犯を処罰するのを原則としているのであるが、この「特別ノ規定アル場合」とは過失犯を罰する旨の明文のある場合だけに限らず、その罰則の解釈上過失犯の処罰をも認めていると解せられる場合をも含むものと解すべきである。ところで、右外国人登録法第一八条第一項第七号は、「第十三条第一項………の規定に違反して登録証明書を………携帯せず………」とだけ規定し、過失犯をも処罰する旨の明文を設けていないけれども、およそこの種の違反行為は、故意をもつてする場合ももとよりあるにしても、過失によつて犯す場合がきわめて多いことは周知のとおりで、これをも処罰の対象とするのでなければ取締の実効を期することができないことは明らかであり、立法に際しても当然このことは考慮に入れられていたと見なければならない。この罰則が過失犯の処罰をも包含していると解する根拠はもつぱらここにあるのであつて、外国人登録令に関する昭和二八年三月五日の最高裁判所第一小法廷決定(刑集七巻三号五〇六頁)が「その取締る事柄の本質に鑑み」と説示したのも、まさにこの趣旨であろうと解される。そして、他方、その法定刑の中に罰金が含まれていることも、この規定が過失犯を罰する趣旨を含んでいると解するについての一つの支えにはなるであろう。もちろん、右のようなものと解するについて規定の形式が明瞭を欠いていることは認めざるをえないところで、このことは立法の体裁としては好ましいものではないけれども、さればといつてそのことから直ちに右のような解釈を否定し去ることはできないのである。そして、立法の精神ないしは法の目的に照らして前記条項が過失犯の処罰をも認めていると解釈される以上、この解釈に従つてこれを適用することが日本国憲法第三一条に含まれる罪刑法定主義の原則になんら反しないことは、いうまでもない。それゆえ、この点の論旨もまた採用することができない。
同第二について。
原判決が弁護人の主張のうち外国人登録法の当該罰条が違反行為と著しく均衡を失した刑罰を規定しているから日本国憲法第三一条に違反するとの部分に対し特に判断を示していないことは所論のとおりである。しかし、右は適用法条が違憲であるとの純粋な法律論上の主張であつて、刑事訴訟法第三三五条第二項によつて判断を示すべき事実の主張には属しない。そして、同項に規定する以外の主張に対して判断を示すかどうかは全く裁判所の裁量に一任されていると解すべきであるから、原判決が前記の主張に対して判断を示さなかつたからといつて理由不備だということはできない。論旨は理由がない。
同第三について。
しかし、控訴趣意第二に対する判断の中で述べたとおり、原裁判所が弁護人の前記主張に対し判決理由の中で判断を示すことは法律上要求されていないのであるから、これを示さなかつたことが訴訟手続の法令違反だとはいえない。したがつて論旨は採用することができない。
以上説明したとおり、本件控訴はその理由がないので、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎)